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ミーコワールド

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ムジョウ

 

  [ムジョウ] 

「ムジョウ」は「無情」でなく「無常」の方です。

無常とは「ツネナラズ」という事らしい。

日々変化して一時として同じではないというのだ。 

確かにそうだと思う。 

昨日の私ではない私がいる。 

昨日の同じ時間でも太陽の位置が微妙に違う。 

風の吹き方が違う。 

出会う人が違う。 

考えている事が違う。 

している事が違う。 

数え上げたらキリがない程違う事がある。 

その中で「判で押したように」同じ事をするのは非常に努力の要る事だろう。 

それが「十年一日(いちじつ)がごとし」となると尚更の事である。 

人は変わるもの。 

景色も変わるもの。 

生活の仕方も擦れ合う人も、出会う人も、何もかもが違っているのに

同じようにするのは本当に並々ならぬ努力がいるものである。 

川の流れでさえも変わっているのである。 

その川の流れをいつもと同じに保つために川底を掻いて水の流れが

大きく変わらぬように整えるという事が絶えずなされている。 

そんな事がなされているのを知らない人が見ると

「この川だけはいつも同じだねえ」という事になる。 

同じに見えるように人々が努力して手を入れているのである。 

川の流れを堰き止めて一時的に流れを変えて順番に川底を整えていく。 

大変な労力である。 

時期も考えねばならぬだろうし、川のどのあたりを最初に手をつけるか

判断もいるだろうし。 どの程度までやるか決断もしなければならない。 

そうして手入れのされた川は氾濫する事もなく

流れも景色も「十年一日のごとく」保っているのである。 

そんな風に考えると何でもかんでも川に捨てられなくなる。 

思わず川の堤防の草刈でもしてやろうかという気になる。 

そういう事があるから川に魚が泳ぎ、虫が飛び交い、人間が川原で遊び、

バーベキューができるのである。 

「無常」とはこういう事なのか、と気が付いた。 

「常ならず」とはこういう事だったのだ。 

景色も変わる、人も変わる、だから世の中も変わる。 

もし、自然をそのまま放置していたらどうなるのか。 

川は氾濫するだろうし草は伸び放題、石も貯まって流れをせき止め

とんでもない事になるだろう。

私の中学時代の友達に弁護士と税理士をしている人がいる。 

ある時「人は変わるもの」という事で話合った事がある。 

別の同級生から「君、変わったねと言われた」と言ったのが話しの発端だった。

彼は私に「で、君、どう答えたの?」と尋ねるので

「そうでしょ、変わったでしょ。それが35年の時の重みよ、と答えたの」と

言うと嬉しそうな顔で

「そうだよ。人が変わらなきゃ世の中、変わらないよ」と言った。 

私も嬉しくなった。 

それなのに人が変わる事を許さない人がいる。 

歳を重ねてとても良い人生を送っている人に対して

「今はあんな風になっているけれど、昔はコンナだったのよ」と囁くのである。

みんな周知の事もあればそうでない事もある。

本人のいない所で言うのである。過去の事は本人が

「でも、コンナ事もアンナ事もあったんだよ」と言う迄は知っていても

言わないのが礼儀だと私の祖母は私に教えた。

プライベートな事は本人が話す事以外は他人が持ち出すのは

ルール違反だというのである。 

「他人からすれば些細な事でも本人にすれば非常に重い心の負担があるやも知れぬ」

というのが祖母の言い分であった。 

それを「あの時は何だったの?」

「それじゃこの事は?」と聞くのはもっての他だと言った。 

無意識に追い詰める事になる、と祖母は言った。

「他人の心の中を探ったり、心の傷をえぐるような事をしてはならぬ」とよく言った。

そして「他人に優しくするのは簡単な事だ」と言った。

「何があっても知らぬ顔でいつも同じように接していれば良い」と言った。

それが「無常」というものだとやっと悟る事ができた。

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